福澤諭吉のいう半学半教ってソーシャルラーニングのことだった:キーワードはインテリジェンス、CIA、適塾
「ソーシャルラーニング」入門 ソーシャルメディアがもたらす人と組織の知識革命
- 作者: トニー・ビンガム,マーシャ・コナー,ダニエル・ピンク(序文),松村太郎・監訳,山脇智志
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2012/01/06
- メディア: 単行本
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2010年の本なのでもう少し古いが、USのソーシャルラーニングの本を読んでみた。
結論からすると
- インテリジェンスには情報の交通整理が必要だよね(意思決定者は普通の人)
- 集合知ってやっぱりバカにできないよね(その筋のプロを超える)
ということ。
どこの調査機関も同じかもしれないが、情報は手に入るがその交通整理が難しい。
それはCIAでも例外ではないらしい。
CIAのような機関は世界中にインテリジェンスが散らばっている。
内部で重複して同じことを調べていたり、同じ情報から違った結論を出したりと。
外部からみると非効率きわまりないし、危なっかしい。
そこで出てきたのがインテリぺディア。
情報のアクセスできる人は限られるらしいが、上のような問題は起きにくくなった。
組織がグローバル化し、各拠点に権限委譲がされると昔のCIAのような問題が起きる。
各拠点では非常に限られた人数で情報の分析がされるため、こなれた結論には至らない。
その場合経験豊富な人材がいればよいが、経験の浅いもの同士で結論を出す場合は最悪だ。
情報をシェアすることは非常に重要だ。
インサイダー情報だと思っても、実は公開情報だったりすることが分かることもある。
シェアする場があれば、その後の調査の効率は格段と上がる。
CIAの場合はソーシャルラーニングというよりは、情報の統率という意味合いが強い。
インターネットのためにCIA等は除いても一般の調査機関の付加価値が陳腐化している。
専門家がアクセスできる情報と素人ができるものの差が格段に縮まっているからだ。
専門家の場合業種によってはインサイダー情報の扱いに困るところもある。
そうすると、素人が入手できた場合の方が情報を利用できる選択肢が多いこともある。
情報アクセスに違いがないとすれば後は分析力だ。
これは属人的なものなので、専門家も素人も関係がない。
ただネットが機能して生み出される(部分的な分析を含む)集合知が優れていることが多い。
とすると調査機関の付加価値と存在はますます怪しくなる。
そんな時代だ。
福澤諭吉はネットの登場なんて知らなかったが、半学半教の法というのを大事にした。
知ってる奴が先生で、知らない奴が生徒。
そこには歳の差もなく、基本ボランティアという関係。
慶應義塾は「場」の提供だけをして、その運用を見守る。
実はこのやり方は緒方洪庵の適塾からの移植だ。
ソーシャルラーニングという横文字で言われるとはっとする。
ところが、日本では江戸時代からあるスタイル。
DNAとしては日本の方がむいているはず!
テクノロジーがそのポテンシャルを更に引きあげているだけ。