泉田良輔のブログ

テクノロジーアナリストの100%私見

他作だから天才とはかぎらないが、天才は他作

はじめからすごいモノを作ろうとするとリキんで手が動かせなかったりします。ところが、細かなテーマで一つずつ作っていくと、意外に大きなテーマが自分がしたいことがつかめてくるという体験はないでしょうか?

「木を見て、森を観る」vs.「森を観て、木を見る」

そう、ちょうど、「木を見て、森を観る」的なプロセスで。「森を観て、木を見る」が重要と言われる中、あえて「木を見て、森を観る」が大事だと感じてます。

一応自分はアナリストだと思って?生活する中で、毎日いろいろな記事を読んだり、分析したり、アウトプットしてみたりしています。

ただ、はじめから全体像が見えていることなどほとんどなく、マイクロ(日本語で言うところのミクロ)な分析や体験をして、全体が見えてきているというのが率直なところです。

マイクロの分析(ここではレポートや記事などの文章も含めて)をいくつもこなす上で、各マイクロについての理解は平均値よりも知っていると思うようになればさらに先に進めます。

また、同じ対象に対して繰り返し分析を続けていっても、結局は自分の分析内容がマージナル(限界的)になってしまうので、個人的には分析する対象物はどんどん切り替えていった方が結局は「森を見る」のは早くなるのかなと。

優秀だが手を動かせないケース

優秀な人でも、実際は手が遅い人は結構多いと思います。実にもったいないなと。

また、短期間に仕上げられる場合は良いですが、できあがったモノがイマイチであれば、周りからの評価も当然ながら良いものとはなりません。

 ただ、手を動かす作業がない分、そこでの気づきは十分とは言えないでしょう。

結局は天才は他作

東洲斎写楽とか司馬遼太郎とか手塚治虫とか、はたまた青山剛昌とか東野圭吾とか(漫画家が多いな)、天才と呼ばれる人たちは創り続けることができるという才能が確実にある。

歴史の登場人物を軸に小説を何作品も書き上げるというのは尋常ではないし、ストーリーと漫画を書き続け、単行本が100巻を超えるとか言うのも超人的。

まあ、普通の才能の人にはそんな機会は与えられもしないですが、与えられても実現はできないです。

編集者から以前聞いた話では、編集者はこの作家が書き続ける才能があるかどうかというのを大事にしているとか。

つまり、人間関係を構築して仕事をするので、確かに長い関係を築けないと効率が悪いとも言えなくもないです。

余談ですが、個人的におすすめなのは、司馬遼太郎だと「燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)」/「燃えよ剣〈下〉 (新潮文庫)」、手塚治虫だと「陽だまりの樹 コミック 文庫版 全8巻完結セット (小学館文庫)

「陽だまりの樹」は高校のときに国語の先生に教えてもらってから読んだが、今読み直しても毎回感動がある作品。

創り続ける苦しみはやった人にしか分からない

自分も3冊本を書いてみたが、正直しんどいです。

頭にアイデアがぼんやりあるものの、いざ手を動かすとなると、動かない。

そこで気づいたのは、やはり、「書き続ける、創り続けるということの方がよほど難しく、次元が違うほど立派だ」ということ。

なので、個人的には単作でやりきったという意見には賛同しにくいなと。

もちろん、もしかしたらいるのかもしれないですが。

結局、思うのは作品を多く残して、様々な試行(思考)を繰り返した結果が、その作り手の世界観であって、シングルプロダクトでそれを表現できるというのはよほどのことがない限り難しい。

昔、米経済学者クルーグマンが大学院生に「毎日(別々の)レポートを書け」と指導しているというような話を読んだことがあったが、正直そこまでできるかどうかは分からないが、つまりは考えて「手を動かせ」と行っているのだなと。

まとめ

つまり、手を動かし続けることにしか、解はないということ。ということで、今日も書き続ける訳です。

 あわせて読みたい

多作の話ではないが、仕事に関しての姿勢として参考になる記事。でも、結局、できる人は手が早いというのは必ずしもではないが、その傾向あるように思う。

www.toushin-1.jp